Tuesday, November 18, 2025

xx童貞を捨てる根源的恐怖

 バキバキ童貞ことぐんぴいが、俺が童貞を捨てたらスタッフが食えなくなるから捨てられない。俺の童貞は金になるんだ。と言っているが、風俗にも行かないことで清らかな俺でいられるとも語っている。よく分かる。

人間の信頼性には可塑性がないと同じ問題であろう。ないかをしていない自分に戻れるわけでもない。なにかの中毒になってしまったらそれに引っ張られて悪いことをしてしまうのではないか?戻れるようなガイドラインがあればさっさと体験しているんだが。ということだろう。

では、何かを試すときに中毒にならないぐらいの強力なガイドラインを用意できるのか?そもそもその必要があるのか?お金は麻薬並に人間の行動原理を変化させるものである。直接人体に作用しないし、手に入れられる量にも限度があるのである程度で止まって中毒にはならないことになっているが、ある意味中毒者を社会的に許容しているとも言える。

少しお金があれば、スーパーでお惣菜とかレジ横の肉まんを買ったり、チョコレートを買ってしまうだろう。しかしそれが買えない状態になったら、食事で回復しないような体の消耗をしない稽古方向に変更するでしょう。動きの少ない継続して同じ姿勢を取る練習をして成長していく選択肢がある。

自分が何かをできるようになってしまったら、努力をしなくなるのではないか?という恐怖。

実際は何もかもうまく行って更にそこから努力していく状態もあり得るのだけれども、そうではない人間がいる。

自分が全く満たされていたとしても、つねに無限の彼方に目標を持って現状の社会秩序を破壊しない範囲で努力していけるような制限をかけていきたいのだ。それは全くの自由とは対立するようで、自分の思い描いたオリジナルな方法で目標を達成するための唯一の制限でもあり、目標へ導いてくれる先生でもある。

自分が社会的な制限を受け入れるときに相手に受け入れさせたい交換条件があると思う。自分ならば、より文字にして合意を積み重ねていくことだったり、すでに示した文書をSingle source of truth として使って合意していくことである。そのように常に絶え間なく相手に対して要求し続けるが相手を完全に拒絶することもない状態での交渉をなんとなく乗りが良いから口約束で済ませてしまう関係と共存させて、巨大宗教のような大きな経典で定義された行動指針とともに示し続けていきたい。 その方法論として通貨によって作り出した体系は最適である。

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