アクエリオン 月に向かって打つパンチ 思念で作った剣を遠くに伸ばす練習 池の底を抜くようにすべてを下に解き放ってしまう感覚 そして相手と一つになってしまうような合体する感覚 それら全て新体道での実体験を元にしていると思う。
月に向かって突く練習をするし、 剣や武器をもってそこからさらに遠くに向かって武器が伸びているとおもって伸ばす練習もします。
座って瞑想するときも動いているときも全てを下に解き放つように練習をする。アニメのように戦って乗り越えた先には全てを手放す感覚があるのです。
これらを商業作品として成功するまでにはどのような思想的変化があり、此処から先どうなっていくのであろうか?
新体道 超前衛武道として1970年ぐらいに登場したわけだが、今でも一番抽象的で大きい型を持つ一番前衛の体技である。
一番の基本である栄光を真似た武道っていうのは出てこない。
大きくて抽象的であるがゆえにそれを商業作品で実現できるとは誰も思っていなくて、それを実現したのが河森正治さん。僕は今でも彼とは合ったことがないけど、一緒に稽古していた人とずっと稽古してきた。
マクロスΔが出たときに3つの関係から4っつの関係に発展させたと言っていた。
これが一番最近の大飛躍であろう。
河森正治さんが新体道で最初にアニメに取り入れた要素は熱気バサラだと思う。本人に聞いていないけど、近藤等則さんを目指して書いたんだと思います。
近藤さんは本当に練習しまくってあの境地にたどり着いた人で、歌で山をうごかすところなんて、青木先生との中段突き対下段払いの組み手でだんだん相手が一人の観客から多数の観客 世界そのものへと大きくなっていくと全く通用しなくなるエピソードそっくりである。熱気バサラがやっていたことで近藤さんがやっていないことは宇宙人を歌で癒やすことぐらいじゃないかな?
河森さんは近藤さんにポリネシアの鳥の人の伝説をあわせてそれをSFとして解釈したのがマクロスゼロであり愛を正面から扱ったのがアクエリオン。
まさかアクエリオンがシリーズ物になるぐらい続くとは僕は思っていなかった。最後まで放送させてくれただけで大満足でこんな事ができるもんなのかと河森さんの天才ぶりにびっくりしてこうなりたいものだと思ってスキーや通貨などより一般的なものに新体道を適用して効果を出すことを目指したきっかけです。
新体道そのものは一元論とか二元論とかを区別せずに作られていて、理論はものすごく整合性のあるところと、ごちゃごちゃだなと思うところがあります。
河森さんは無の方向性はもちろんあるけれどもそれで最後まで押し切るではなく 愛を目指して今の人類につながる神話と一体となって瞑想する系の現在の社会を踏まえている人なので、3っつの要素が出てきてそれの相互作用を一つの切断で魅せることを体得する努力をとてもしたのだろう。 地球少女アルジュナで瞑想の世界をかなり直接的に書いても受け入れられることがわかったので、3つの要素があることをはっきりと書いてそれの定義も言葉でも行いいろいろなところに3つの要素の相互作用を象徴的に出して商業的に受け入れられるようにすることに挑戦したのがアクエリオン。作る前から3つの要素を我が物にしたと確信して作っているのだろう。新体道にも三体勢理論っていうのがあるので三すくみとそれらを超越していく要素という構成を流用するのには役立ったはず。
そしてマクロスΔの4つの関係と3つの関係の結びつきをマスターして今までの思想をさらに発展させて描くことに成功している。青木先生もこの間三体勢理論の図式(セフィロト)を変えてきているので、本部の稽古に一回しか来なくても確実にシンクロして進んでいるのだと思う。師匠よりももう一歩先を進もうとしていて、なおかつ全てをぶち壊しにする残虐な野生を学習することを怠らない河森さんの努力の姿勢は新体道の稽古人を励まし続けている。
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