自分が布団から起きて打ち破っていく冒険を推奨する自己啓発もあるけど、布団に挟まってゴロゴロして楽しむのを否定するのか?
悟りを教える教科書には今ある自分を打ち破っていけ的なことを言っているのが多い。そりゃ本当なんだろうけど、今まで歩いてきた自分の道がなかったことに鳴るのだ。別に歴史が記録されていない時代にも悟っている人は居ただろうし、記録なんかなくても悟れます。だから、今ある自分を打ち破るのは良いとして、それをせずに、今の自分を他人に理解してもらうとか同じ気持ちを再現したいという情動を忘れて前進するのは人間的ではないのかな?と疑う気持ちも大事にしたい。
そこを疑い尽くして悟りへ向かうってことなら良いのだけど、「見性してます」ぐらいだと明らかに疑う部分が足りなさすぎるひとばかり。
イエス・キリストとかブッダとか悟ったと言われる人の言動から推測する彼らの考えと、センター試験で社会を理解して90点取れる人だったら後者のほうがよっぽど社会への疑いでは高いレベルにあると思う。
現代の啓発本はほとんど体に酸素をもっとたくさん供給して燃やすような、化学反応を促進させることばかり。環境に配慮しようっていうSDGsみたいなやつもあるけど、堕落すること自体が目的の啓発本ってほとんどない。無駄なトリビアとかスケベ大学とかアニマルセックスクイズとか正解しても不正解でもたのしいコンテンツを楽しみ尽くす心得ってほとんどない。モテるとか化粧するとか着飾るとかそれよりももっと無駄なことを心底楽しむ堕落の作法がさっぱりないのは頬って置くと人間の繁殖そのものが無駄だってなってしまわない悟りを用意するためには必要なのだ。
右派は家族作って結婚する努力ぐらいしろ 異性を好きにならなきゃ病気なんだからそんなのは許されない。とにかく人口をふやして障害者を消す行動をするぐらい最低限の布団から出るレベルの努力だと思っている。一方 カマラ・ハリスっぽい左派リベラルは、平等を受け入れて、最先端の技術で非倫理的なことをやってギグワークに押し込まれるレベルの才能なら何もかも我慢しろみたいな立場。 両方とも拒否して布団でグダグダしたいっていう願いを追求する自己啓発ってほとんどないなぁ。徹底した七つの大罪を犯し尽くす道を成就させる政治体制が求められている。
私の提唱するタグ通貨はそれを達成すると思う。