Monday, July 7, 2025

書籍plurality の問題

 科学に多数決を持ち込んではいけない。

ある程度多数の意見にならないとそもそも取り上げられない。

AIで加工されることを前提に極端な目立つ意見を言いがち。
AIは意見の細かい分離までは現時点ではやらないし、違う意見があれば、意見を集約して読み取る側のフレームを打破することはできないと考えるべき。
意見集約の仕組み自体の弱点を見つけることはほぼない。

意見集約の仕組み同士の公正な競争をさせるプラットフォームを提供することがより局所最適解に陥りにくい。

 意見の整理を最近3年ぐらいAIに任せるときに都合の良い発言形式が提案されているが、ハックされるとかなり悪用されると感じる。 具体的には相手の言いたい意見の核心部分が消えるぐらいかつ違う意見と分類されないちょっとズレた意見をたくさん投稿する。 中道の細かい違いのある意見が違う意見と分類されないように、極端な意見かつ違った意味の方向に離れている意見をたくさん投稿する。 その意見が無視されれば、少数意見を切り捨てているのでplurality の理念は崩壊しているので従うべきでないと場を壊せるし、反映されればその時点で勝ち。

そもそも、少数意見をどのような場合に切り捨てるべきか覚悟がなさすぎるのに、技術で危機的場合も解決できると楽観しすぎ。

 極端に人口が減った場合や文化が絶滅の危機になった場合に、ジェンダー平等は放棄するべきなのだが、その経験があるユダヤ人にそのあたりの認識でまったく勝てないのも彼らが経験した苦難を全く軽視して哲学に反映されていないからです。

 人権の制限をするときにその手法で納得したルールを互いに死ぬことを受け入れて守れますか? 今の時点では無理だろう。コロナの外出禁止ぐらいは守れても、イケメンじゃなくてもいいから他人に決められた人間と結婚しろとか、戦争に行けっていうときに使える合意形成の手法ではないと思う。出生率が他と比べて改善したらこの有効性を僕は信じる。